戦後復興期

戦後復興期

※山根篤弁護士による意見書
※山根篤弁護士による意見書

戦争の惨禍によって、日本経済は荒廃し、戦後深刻な危機に見舞われました。三井、三菱等の財閥の解体、財界人等の追放が行われた状況下で、訴訟事件、法律鑑定の依頼も減少し、岩田事務所も暫くの間、苦難の道を歩まねばなりませんでした。

また、岩田宙造弁護士は、太平洋戦争終戦直後の東久邇宮内閣に司法大臣として入閣するなど、政治活動を本格化させて、弁護士活動を休止しました。そのため、戦後の岩田事務所は、事実上、岩田宙造弁護士の門弟の各弁護士により運営されました。

そうした各弁護士の努力により、日本経済の復興とともに、岩田事務所の訴訟事件、意見書作成等の依頼も増加したことから、昭和20年代後半には、門弟弁護士において弁護士を採用するようになり、また、岩田事務所内において各自の「室」を持ち、岩田事務所の名のもとに共同して弁護士活動を続けていくようになりました。

※竣工時の丸ビル (出典)三菱地所株式会社 「丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史」
※竣工時の丸ビル (出典)三菱地所株式会社 「丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史」

戦後の復興期を経て、都市の整備もすすみ、丸の内の赤レンガ街、いわゆる三菱村も取り壊され、新しい近代的なビル街に生まれ変わることになりました。これに伴い、岩田事務所も昭和37年(1962年)に三菱仲14号館9号の赤レンガ造りの建物に別れを告げ、旧丸ノ内ビルヂング(丸ビル)5階(561区~565区の5室)へ移転しました。当時在籍した岩田事務所の弁護士は、5室総勢14名でした。

年表